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明治41年(1908)、函館ドッグ取締役として赴任した川田龍吉男爵が外国の苗種商よりジャガイモ11種を購入、自家農園「清香園」で試験栽培したのが「男爵いも」の始まりでした。
6世紀、南米ペルーの原住民によって栽培されたと言われるジャガイモは、古くは18世紀初頭より北海道で栽培された記録が残されています。七重に築かれた明治当初の官園時代でも数多くの品種が耕作され、地域農家に無償配付されて農業の振興に大きな役割を果たしていました。
しかし、明治後期ともなると七重官園事業が廃止、現在の函館本線開通にともない、七飯村全体がさびれていくなか、函館という一大消費地を背景に、再度、農村として発展させようと果樹や野菜に関する研究をすすめいきました。やがて、優良品をてがけることに成功した農産物のなかに「男爵いも」がありました。
かつて、川田男爵は機械工学(造船技術)を学ぶためイギリスに留学。その若き思い出深いイギリスを原産とする品種「アイリッシュ・コブラー」を購入した男爵は、試作のため、近くに住む村田惣次郎に譲り渡し、自らも試作を重ね、その貢献に努めました。やがて、その品種が病気に強く早く実ることが判明、さらには品質・収量ともに優れたものであることが評判を呼び、近隣への栽培の輪に広がったといいます。
大正期には食用、種いもとして本州方面に出荷され、高い評価も得ました。七飯農業会では品質管理を徹底し、共同出荷することになり、この時、原名を失念した品種名を川田男爵から譲り受けたことにちなんで、男爵の承諾を得て「男爵いも」と命名しました。
昭和22年(1947)、北海道農業会渡島支部の有志によって、男爵薯に関する2つの記念碑が設立されました。一つは七飯町鳴川の清香園農場跡に建つ「男爵薯発祥の地」記念碑で、いま一つは五凌郭公園内の「男爵薯を讃ふ」の記念碑です。移り変わりの激しい農産品種のなかで、今日まで不動の位置を保っているのは、男爵いもの類い希な品種の優秀性を示すものであり、大正期以来、あいつぐ凶作や不況、戦争などによる生活苦から人々を救ってきた「男爵いも」そのものと、それを導入、栽培し普及のきっかけをつくった川田男爵に対する人々の限りない敬意の念が、これらの碑に込められています。
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